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自分の望む最期の在り方
死生観
07/06
2017
自分の望む最期の在り方
皆さんは自分の最期について
考えたことはありますか?
「いつ死んでもいいようにしています」
割とインテリジェンスが高めな方からは
よく耳にはする言葉です。
では、
具体的に聞きますが、
自身がいつ死んでもいいように
どういう準備をされていますか?
死後、親族が揉めることのないような
財産分与の準備
経済的不安のないような保険、
永続的な収入の柱の準備
遺される側の
悲しみを乗り越える強さ、
精神的自立
を養っておく準備
理想としては
これらを準備し
何の心配もなくスッキリ死にたいものです。
そうゆう準備万端な方は
ご自身が、どういう最期を迎えたいか
という事も
はっきり家族に伝えているのかなと
思います。
ところがね、
医療現場に居ると、
『家族は、患者自身の意思を、
今ひとつ理解していない最期の
決定
をする』
という齟齬をしばしば目の当たりにします。
もっと砕いて言えば、
『患者の
本意
ではなく
遺される者の
本位
で方針の決定をする』
ということがしばしば見受けられるんです。
ホスピスの現場でも、
救急の現場でもです。
だから
いつ死んでもいいようにと
準備していたことは、
ご自身の自己満足、独りよがりに
なりかねない
とゆうことがあるのです。
準備万端な人でも、そうゆうことが
起こり得るんです。
(でも世の中の大半の人は、
そんな準備は
できていないのが現実ですけどね。)
さて、
患者本人の意思と、家族の決定の齟齬は
どうして生まれるのか。
家族との関係性
価値観の違い
家族の意思と本人の意思がそもそも違う
最期まで諦めたくないという思い
混乱
などなど
様々な要因はあるでしょう。
※そんな話したことなかったから、
というのはここではもはや論外。
自分の最期のことは
希望できても、
いくら
本人が希望していたとはいえ、
いくら
家族とはいえ、
他者の最期を決定するのは
責任が重くのしかかる。
と、思ってしまう。
そこらへんに、
齟齬の生じる理由があるのか、
日本人の気質や文化も影響しているのか。
判断を迫られる家族の意思決定は
とにもかくにも消極的です。
ここで余談になりますが
実際、
「もう何もしないでください。それが本人の意思でしたから」
と決断した息子さん。
「あんた、なんて薄情な子なんや!!」
「最後まであきらめたらあかんやろ」
「もしかしたらまた
よくなるかもしれないし」
って、親族から非難ごうごう。
そんな場面は少なくありませんでした。
医療従事者としては
良くならないから
そうゆう話をしているんですけれど
やはり、また元通りになると
本気で思われているのか?
そうなってほしいという
希望的観測からの発言なのか?
時に、よくわからなくなることがあります。
そこで張り切って聞きますが
皆さんは
自分の親や
大切な誰かが
死の瀬戸際に
ある時、
本人の意思に沿った決断が
できますか?
その前に、まず
自分の時はどうします?
どうしたいですか?
どうしてほしいですか?
普段から、家族や大切な人と
そうゆう話はしていますか?
なんとなくしている
ではなく、
ちゃんと、
どこまでやるか、やらないか
まで決めていますか?
病院や施設によっては、
入院時、全員に
もしものときに、どこまでやるか。
それを確認している病院もあります。
(そうゆうチェックシートもあるんです。
それは今度の機会に書きます)
どこまでやるかやらないか
ということに
イメージがつきにくい方へ。
◆じゃあ、貴方の望まない最期ってどんなんですか?◆
例1:のどから気管にチューブを入れて人工呼吸器をつける
鼻に入ったチューブまたはお腹にあけた穴から栄養剤を流す、
いわゆる植物人間にはなりたくない。
例2:80歳過ぎても心臓止まって、肋骨がバキバキに折れるような心臓マッサージはうけたくない。
※あくまで、よく耳にする望まない最期のイメージです。
皆んなね、
癌になったら…
とゆう話は割とよくしているんですね。
長患いする可能性があるし
日本人の死因の1位だからかな。
巷には癌の情報も多いしね。
でもね、意外にも
ホスピスですらですよ
ホスピスに来てからも、
どのように過ごしたいと
思っているのか、
最期にどのように亡くなりたいか
わからない状況が多いんですよ。
本人に聞いても否認されるし、
家族は更に、
それは触れてはいけないところ
だと思っている人が多い。
癌になり、
ホスピスに来てまでも
腫れ物に触るかのように
本人が希望する最期が語られない。
人間は皆、平等に必ず死ぬ
いつかはわからないけど、
癌であれ何であれ必ず死ぬんです。
今からネタバレ注意ですが
「君の膵臓が食べたい」
あれ読んだとき
あ、そっちで死ぬんや
って思いました。
そうゆうことなんです。
いやわからんか。。脱線、失敬。
人間は皆んな
死を前提に生きているわけだから
直視することを、
回避してはいけないんです。
ただ、死を前提であるとゆう
それに気付くのが遅いか、早いか。
で直視のダメージも全然違うんです。
人間、現金な生き物だから
病気になった時しか
そうゆうこと考えないんですよ。
そして病気になった時に
死を直視することは
まるで生を諦めたかのような感覚に陥る。
生に対する執着があるから
どうしても死を直視できなくなる。
そうゆう時に
直視するのはダメージが大きいんです。
だから元気な今のうちに、年齢関係なく
直視しておく必要があると思います。
死(最期の在り方)を直視することは
怖いことでも
ネガティブなことでもないんです。
むしろいかに実のある生にするか。
につながってくる。
自分の望む最期の在り方
とは何だろうっていう
イメージがまず、できていないと
保険証裏の
臓器提供どころの話じゃないんですね。
あれは、本来しないといけない話を
いきなり飛び越えちゃってる。
なんか恣意的なものすら感じます。
話がどんどん脱線してきました。
長くなるのでまた、続きは
シリーズでアップしていきますね。
まだまだ続きます。
実は私、
生き方死に方医療の適正化
を想い、起業しました。
まだまだ形にはなっておりませんが、
いつか必ず形に仕上げます。
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