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アンガーマネジメントファシリテーター 久下渚(くげなぎさ)

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忘れられない死に方をした患者さん Mさん

看護

08/082017

忘れられない死に方をした患者さん Mさん

【お地蔵さんのようなMさん】

このシリーズ、書き続けていきたいと思いながら、今頃2回目になりました。

人の死に方について、興味深く考えるようになった一つの例を今日も書かせてください。

 

 

私が看護師としてまだ2.3年目のころに、部署の異動がありました。

終末期(エンドステージ)+検査入院科の患者様が入院される病棟という

すごく煩雑な業務の中に飛び込むことになったのです。

 

終末期というのは命の終わりを迎えられる人が殆ど。

患者さんにはもちろんのこと、ご家族のケアや関わり方も濃厚になるという場。

 

そのような患者さんの横で、かたや、バタバタと日帰り・2泊3日の検査入院患者さんが居るという状況でした。

今ではきっと考えられないでしょうね。

まだ、緩和医療チームが立ち上がったばかりの時代でした。

 

 

 

そこで、とても穏やかなMさんというお地蔵さんのような

男性の患者さんとの出会いがありました。

胃がんの末期、余命宣告もされている患者さんでした。

 

とはいえ、まだ少し流動食なら食せる、今すぐ死に向かっているわけではない。

そんな状態でした。

 

本当は食欲が落ちているからなのに

「流動食、おいしくなーい。ミキサーーにされているから何が何や、ようわからん」

食事を残したら、おちゃめにベロをだして、そんな言い訳して見せるのでした。

 

 

検温やケア、IVHの管理に向かうと

いつもニコニコ私を迎えてくれて、楽しい話を穏やかに、たくさんしてくれました。

 

私が2.3日休むと、寂しかったとか、どんな休日を過ごしてきたの?とか

本当に孫を見るような穏やかな表情で

私の話も聞いてくれた、聴き上手なおじいちゃんでした。

 

 

 

私は、ナースという立場でありながら

この患者さんに癒されていたんですね。

 

何にもなくても、Mさんのところに、しょっちゅう顔を出していました。

 

 

けれども徐々に食せるものは流動食から、経口栄養補助飲料へ

補助飲料から、レモン水を口に含むだけになり、ついには

自分の唾液さえも呑み込めなくなっていきました。

 

みるみる痩せていき、体力も衰え、臥せがちになり、口数も減りましたが、

それでもまだニコニコ顔で私を迎えてくれていました。

 

 

Mさんは自分の唾液を呑み込まなくなってから、

ウォークマンで何やら一日中音楽を聴いて過ごされるようになったんですが、

何を聴いているのかまではわかりませんでした。というより

なんとなく想像がついたから、Mさんには何を聞いているのか、聞かなかったのです。

 

 

徐々に不可逆的に、やはりMさんはもう、にこりともできなくなりました。

ずっと寝たきりになりました。

日中に、Mさんの奥さんがウォークマンを

繰り返し、繰り返し、操作して聞かせてあげている。

そんな姿をよく見かけました。

 

 

奥さんが帰られたあとに、

寝ているのか起きているのかわからないMさんの

枕もとのウォークマンがまだ回り続けていました。

 

痩せた耳からイヤホンが外れそうになっていたのをみて、

つけてあげよう

そう思って近づき、私はイヤホンから流れる音楽を、

聴いてしまいました。

 

聴かずにはいられなかったというか、確かめてしまったのですね。

 

 

 

 

 

 

やはり、お経でした。

 

 

 

 

 

ああ、Mさんもか。私はそう思ったのです。

Mさんもやっぱり逝かれるのか。と。

 

この時とった私の行動は決して褒められた行動ではないのですが

「Mさん、わらってください」

って 思わず、痩せた頬の口角をつまみました。

 

するとわずかに目を開け笑ってくれた、Mさん。

 

それを見て思わず、私はすかさず、

「M、さん、本当に、仏さまっているのかな?」

なんて、声をうわずらせながら聞いてしまったんですね。

Mさんの最期を受け入れたくなかったのかもしれない。

 

 

Mさんは言いました。

 

 

 

 

 

【ここに】

って。

 

 

 

 

 

カラカラの聞こえるか聞こえないかくらいの声で

自分の胸に手をあてて言いました。

 

 

ぐうっと胸が、のどが苦しくなって、私は涙をためてしまいました。

ああ、Mさんはなんて穏やかな最期を迎えようとしているんだ。

本当にお地蔵様みたいだ。

Mさん、くだらないこときいて、ごめんなさい

わたしはなんて自分勝手な思いを押し付けてしまったのか。

受け入れていないのは、私だ

そう思いました。

 

 

「そっか。そうなんですね。ありがとう」ってそれしか言えず

手を握って

病室を後にしました。

 

 

翌日、Mさんはご自宅に帰られました。

奥さんと本人の強い希望で。

 

そしてMさんは2.3日後家で息を引き取りそうになり

救急車で病院に戻ってきましたが

救急外来到着時には亡くなられていました。

 

それを知ったのはお葬式が済んで、しばらくして

奥さんが挨拶に来られたからでした。

 

その時に、お礼を言いに来て下さったんですね、私にと。

 

実は見ていたんだと。

口角をつまんで、笑ってください

って

言っている私とMさんのやり取りを。

 

そのやり取りをみて、ほほえましかったこと

主人が愛されていること、とても大事にケアしてくださったこと

嬉しく思いました、私も救われました

ありがとう

って言ってくださいました。

 

 

あとで婦長さんには「こら~」っていわれたんですが

Mさんと私の関係性が、

遺されたご家族の、ほんのささやかな救いになったのなら

それは貴女、良かったね

と。

 

 

私はこの病棟に配属されてから実は体調を崩してしまい

結局7ヶ月ほどでこの病棟、病院を去ることになりました。

 

 

なにせ

学生のころに母親と同じ年齢の末期がん患者さんを担当させていただいたとき

苦しくて、泣いてばかりいた私でしたから。

 

 

たった7ヶ月しか居なかったけれど今でも鮮明に思い出せることばかりです。

 

 

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