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アンガーマネジメントファシリテーター 久下渚(くげなぎさ)

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日別アーカイブ:2017年08月18日

日別アーカイブ:2017年08月18日

08/182017

名前を覚えてくれなかったSさんの、最期の前の日

看護

【私の最後の担当患者さんだった、Sさん】

 

 

 

肝臓がんの末期のおじいちゃん、

Sさんが私の最後の担当患者さんでした。

 

 

私がシリーズで書いているこの内容は

主に終末期(エンドステージ)専門の病棟で勤務していた約14年前のお話です。

 

 

この病棟では7ヶ月しか私は居られなかったのですが、それは

逃げ出したといってもいいくらいに当時、消耗しておりました。

 

 

 

その時の最後の受け持ち患者さんのSさんに、心残りがあります。

今でも後悔しています。

 

 

 

 

Sさんは、私のことを「看護婦さん」と呼ぶ方でした。

どのナースに対しても「看護婦さん」と呼んでいた方でした。

 

 

仕事の日はSさんのもとに毎日顔を出し

そのたびに「Sさん、今日も久下が担当させていただきますね」

って声をかけるんだけれど、看護婦さんとしか呼んでくれなくて。

 

 

薬のコントロールについて指導したり、

特別に時間を取ってケアしたり、

 

 

生まれたばかりのひ孫さんを抱っこしたいけれど

病気が移ったらアカンからと嫁さんにきつく言われて抱っこさせてもらえない

それが一つとても悲しい

といったことを毎回話してくださったりと

2か月以上の比較的長いお付き合いでした。

 

 

なのになんでいつまでも久下さんって呼んでくれないんだろう?

 

 

呼びにくいのかな?覚えにくいのかな?

 

 

Sさんがいつまでも私の名前を覚えてくれないのは

私の力不足ってことなんだろうか

 

とか、

 

なんでこんなに毎日関わっているのに

覚えてもらえないんだろう

 

私がもうすぐ辞めるから、

そういうのがなんか患者さんに伝わってしまってるのかな

 

って思ってみたり

はたまた

 

Sさんは人の名前に興味がない人なんじゃないかな

 

とか

 

一生懸命やってる割に名前を呼んでもらえない

 

 

ということに私、執着していたんですね。

つまり、心のどこかで見返りを求めていたのでしょう。

 

 

しかし、もちろん私の仕事最終日まで

Sさんにはいつもと同じように

関わらせていただきました。

 

 

そして、私はそのままいつものように、Sさんに

「じゃあ、Sさん、私帰りますね」

とだけ言いにベッドサイドまで行き、

それ以上は何も言わず仕事を終え

職場に別れを告げました。

 

 

そうなんです。Sさんには、辞めること、言いませんでした。

私が辞めると言ったところで、

いち看護婦さんが居なくなるだけなんだから

わざわざ、もったいぶって言うことでもないか。

 

そんな斜に構えたような、ひねくれたような

気持ちがあったのは確かです。

 

 

 

 

 

 

 

それから私は、次の新しい職場から

それまでとは全く畑の違う

集中治療、救急に携わっていくこととなります。

 

 

しかし、あの終末期病棟から逃げ出した自分に

どこかで納得がいかず

すでに救急、集中治療に携わっていたのにも関わらず

癌看護の看護協会の研修などにも名乗りをあげ

参加していたのでした。

 

当時の師長さんには、優しく理解してもらえたけれど

私、中途半端なことをしていたなあと今でも思います。

 

 

 

それから月日が流れ、1年ほど経ったとき

終末期病棟でお世話になっていた先輩と会う機会があったのです。

 

 

田中さん(仮名)というよくある名字の先輩ナースでした。

その先輩ナースから、Sさんの話を聞いたんです。

 

やはりSさんは田中先輩の名前も最期まで呼んでくれなかった

って、先輩も言っていました。

田中って覚えやすい名字なのに、

ああ、Sさんってやっぱりそういう方だったんだな、

ってなんか妙に納得し、先輩もそうだったんですね

とかなんとか話しながらだったんですが

先輩はこう続けました。

 

 

「久下が辞めてから、Sさんどんどん弱っていってな

2週間ほどで亡くなりはったんやけど。

 

Sさんも、死の間際はもう、寝たきり状態で

体交(身体の向きを変えること)も自分でできなくて

介助でしてたんやけどさ、

 

実は亡くなる前の日にな、

何と自力で廊下まで出てきて、

廊下の前の洗面所を覗いてる姿を発見したのよ!

足もと、ふらふらさせながら!

 

私慌てて、【Sさんどうしたんですか!?】

って駆け寄ったんよ。

そしたらSさん、なんて言ったと思う?」

 

 

 

 

 

【ああ、看護婦さん。

久下さんはどこに居ますか?】

 

 

 

 

って言ったんよ。

 

わたし色々その時びっくりしたんやけども、

Sさんはもう逝く日が近い

それがわかってな

【Sさん、久下はな、今、夏休みやねん。

はよ仕事戻ってこいって言っとくわね】

って、さ、ホンマのこと言われへんかった。

 

 

あんたSさんに、黙って辞めてったんやな」

 

 

 

と、聞かされたのです。

 

 

 

 

 

 

まさか、Sさん。

覚えてくれてたんだ。。

 

泣かずにはいられませんでした。

 

 

 

 

 

このシリーズ、書いてる私が思い出して

毎回胸が苦しくなる、

自分のあまりの不甲斐なさに。

 

 

 

 

最期の力を振り絞り

私を探してくれていたSさん、

ごめんねSさん。

私はSさんから何にも受け取れていなかった。

私のモノサシはなんとくだらないことか。

名前を呼んで欲しかったなんて

私はなんと幼かったことか。

なんて申し訳ないことをしたことか。

それは仕打ちにも近いことだったのではないか。

大ばか者だ。

 

 

 

 

 

 

亡くなってからしか、気付くことのできなかった

愚かな私ですが、今となっては

Sさん、気付きをくれてありがとう。

と、感謝もしています。

間違いなくその後の私の看護観に変化を与えてくれました。

 

 

そして、田中先輩、私に伝えてくれてありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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